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微妙な記憶1

小学5年生の時に、不登校気味になった。元々異常に人と接する力が無くてたくさんのお友達ができなくて地域の登校班とか子供会から浮いてしまう性格で、月曜はしょっちゅう休んでいて、それがだんだん酷くなっていた。昼夜逆転してて、夜中の1時2時に寝るのがけっこうあった気がする。

担任がクラスの規律にうるさい人で、「あだな禁止」とか、学校で配られた漢字練習帖の訓読みと音読みのところを私が青と赤のペンで色分けして書いていると「ここは鉛筆で書いてね、間違っていたら書き直せないから」とつまらないところを直させたりとか(小4で間違ったことなんて1回も無いのにと思った記憶がある)、クラスをコントロールすることが上手かったんだろうけど、私にはきつかった。

思春期が始まっていたので怒りがコントロールできなくて母をよく叩いていた。母も私を理不尽に叩いて育てたので仕返しだったのかもしれない(そのことを母に話すと、お前なんてまだまだだ、私と性格が似ている頑固で絶対謝らない兄のことを叩いていたら、おばあちゃんはお父さんに「○○が殺される」と言った、というエピソードをよくする。私と兄、どっちも対人コミュニケーションが弱く様子がおかしい大人に育ってしまったので完璧に失敗だ)。

夜中まで起きてるのは脳みそがおかしくなるのか、理不尽に怒られて叩かれたと思うと(いつかこいつら刺し殺してやる)って本気で思っていたし、鉛筆をばきばき折って激しい感情を抑えようとしていた。言葉で表現できなくて物に当たるのは今も変わらない(壊すのは無いけど投げて解消しようとする)。

今なんて不登校児いるのなんて当たり前だろうけど、その頃学校に不登校児は1人もいなかったらしい。泣いて登校を嫌がる私を車で体育館の裏手に連れてきて、固まっている私に困りかねて母は職員室に助けを求めに行け、5~6人の教師がわらわら明るい調子でやってきた。

2~3回保健室登校した気がする。そこから保健委員で、優等生タイプの子が一緒に教室まで行ってくれた。ベッドで寝ていると、担任が満面の笑みで優し気に、今から出かけてしまうことを伝えに来てくれたが、口が臭くて、口が臭いなと切なくなった。家庭科の先生に、愛情が足りてない子とみなされたのか、こうするのが正解とテキストに書いてあるのか、急に抱きしめられて、その頃人との接触が苦手だし急に抱きしめてくるのも意味わかんないので固まって、保健の先生(優しい)に視線で「何これ?」というのを伝えると、苦笑いみたいな表情を返してくれた。授業中窓側の席なので空を見ていると、普通は怒られるのだろうが担任はこっちを見ても何も言わなかった。腫れ物。

大人に干渉されるのは辛いな…と気持ちが切り換えられたのか何なのか、その後1日も休むことなく、担任も「おだやかな表情で過ごしています」的に書き、そのまま無欠席で卒業し、中学校もインフルエンザを除いて無欠席で卒業した。高校は脳貧血でぶっ倒れて、一限でも休んだら皆勤賞を認められない厳しい学校だったので、なんとか授業に戻ったが気持ち悪すぎて早退し、それ以来緊張の糸が切れて模試の日に寝坊したりした。高校はまだ記憶が生々しいので友達がいない感じとか思い出すと辛い。

色々考えると、実家住まいで親もまだ働いているのでお金のこと気にせず、すんごい安月給だけど自分のことにお金使えて、仕事も給料安い分嫌な人ややることが少なく(大変だけど)、ちびちゃんいるし、今が一番幸せなんだろうなあー3年後はたぶんもっと悲壮感漂っていると思う