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思い出のベース

家にゴキブリが出る。古いから仕方ない。隙間だらけだからどこからでも入って来られる。車の上に止まっていた時は、コオロギみたいだね、と風流な気分になった。

生ごみコーナーにうようよいた時は鳥肌が立ってブラックキャップをそこかしこに置いたが(ゴキブリにはこれが一番効くと思っている、ホイホイは家の外からも匂いにつられて入ってきちゃうと聞いて使いたくない)、ちょろちょろちょろっと出てくる分には殺すのもしんどいし見過ごしている。

今日もこんにちわ、したのだが、私のタオルケットにカサカサカサ、と移動して、そのタオルケットを持ち上げるとまたカサカサカサ、と移動していった。

物を動かすと逃げ出すゴキブリ。

これは「どうぶつの森」じゃないか…!と感動した。

ゲームキューブでやり、高1の時にDS版をやり(認知症の始まっていたばあちゃんが当時手に入りにくかったDSをバスに乗って駅前のイトーヨーカドーに買いに行ってくれたのだ。今はばあちゃんもイトーヨーカドーもなくなった。)、5年くらいやって、ニート中もやろうとしたらゲームやってるの親に怒られて、割とやりこんだソフトである。青春の思い出。

魚見ても珍しいカブトムシ見ても「どうぶつの森だ…!」となる。家具の名称が出てこない時も「どうぶつの森に出てくるやつ…!」となり、言葉になってないのにおしゃべりな障がい者と接すると「登場キャラのしゃべりかた…!」となる。

引きこもりの思い出はゲームがベースだ。

もう一つはまったゲームに、「ぼくのなつやすみ2」がある。大自然がある田舎に夏休みの期間限定、家族から離れて親戚の家にお世話になる小学生の主人公「ぼく」は、海もぐったり虫取ったり近所や民宿の人とあたたかい交流したりおいしい手料理食べたり、けれどその牧歌的な田舎もトンネル開通でなくなっちゃうかもね…と示唆があったり、もう私にとっての文学作品みたいな感じなのだけれど、田舎に行ったりきれいな海を見たりすると、どうしても「ぼくのなつやすみだ…!」と発想してしまう。

時々思うのだ、記憶のベースがゲームではなく実体験だったら、この景色を見てどう思っていたんだろうって。

なつやすみは小学生のころから昼まで寝て、適当にくちゃくちゃ食べて夜になってハイテンションになって、深夜まで起きて10時間くらい寝る、の連続だった。時間を有効利用できない。今も変わらない。時間をコントロールできない。

なつやすみの記憶がそれしか無い。

大人になって良かった、たまの休みにそれなりに行きたいところに行ける。

なつやすみの欠乏を今更埋めようとしている