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25歳

2014.12.27

あっという間に25歳だ。

若さでいろいろ許されていた年齢も終わりの頃である

フェイスブックをやっているのだが、ニート脱却の頃に

職場の人に頼まれて始め、「個人情報見せたくない」と、

頼まれでもしない限りめったにイイネ!も書き込みもせず、

今もシェアが何なのかよくわかんない感じなのだが、

やり始めたころはまだ学生の友人が楽しく飲み会してたり、

留学先での集合写真をアップしてたり、なんだか楽しくしてますね、

という感じで、そんな彼らも卒業してからは静かになってしまいましたね

と眺めて、そんなこんなで始めてから2年近く経った今、

「知り合いかも?」に知らない名前の人が出ている、

でも下の名前の人は知っている、顔写真も似ている→クリックして

結婚報告出てくる、を何回か繰り返しているこの数か月である。

私が実家に帰ってきて、自分の社会不適合性について不安を感じたりとか

いつやってくるかわからない庭猫ちびちゃんを待って2ちゃんまとめとか

見ているうちに、そういう人の人生も流れていたのだ。

今日、仕事が終わって歩いていたら、路線バスに乗ろうと

キャリーバッグを引いて走る男の人を見た。

実家に帰るんだろうな、と瞬間思った。

私は大学生の頃、石川県にいたので、

実家にたまに特急を使って帰るときは、大きい鞄を携えて

いる自分というのになんとなく誇りを持っていた。

周りのように東京を選ぶことなく、そこそこここより

都会の地を選んだ、石川は冬のどんより天気の雪でべちょべちょで

傘を持って帰ったら、快晴で乾燥する地元には

似つかわしくなく、通りがかった10代に「なんで傘持ってんだ」という

表情をされた気がしたのも誇りだった。

地元から出る、というのにはそういうのがあった。

「実家に帰る」という響きに自分が憧れを持っているのに今日再確認した。

大学生の頃「26歳まで結婚に全然縁を感じなかったらお見合い結婚する」と

考えてた気がするけれど、実行しなければならないのが濃厚になってくると

いやだな~いやだな~となっている。

25歳の自分に価値が無いなら、30歳の自分にはもっと選択肢のない

世界が待っているだろうなとわかっているが。

ある公務員の仕事を目指していて、結局それは叶わず、もう少し入りやすい、

しかし私にはとうてい受からない公務員の仕事についた友達がいる。

私にとってはどっちの仕事もとってもかっこよく、ずっと勉強していたからこそ

着地地点がそうなったのだと思う。

私は大学生の時何も考えていなかった。「文章の仕事がしたい」という

曖昧で、そこらじゅうに腐るほどいる文系大学生の一人で、

「一人で食べていけたらいいな」というぼんやりとした目標の結果、

「一人で食べていけない」という着地地点になった。

「一人で食べていくにはお金を稼ぐために就職しなくてはならない」のに

ハローワークに行くのがつらい」「見てもどの仕事にもつけなさそう、したくない」

「面接官にきついこと言われて辛い」「車の運転怖い」

「現実を見るのはお腹痛い」で、過程ばかり気にして自滅した。

私より占いに傾倒する母が「来年は良いことあるわよ、誘われたらめんどくさがらないで

なんでもチャレンジするのよ」と言っているが、

何が起こるのだろうか