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人間観察

2014.10.26

テレビブロスに連載してるマキタスポーツさんが以前

「1億総ツッコミ時代」と称していた。

SNSや動画サイトが普及した現在の日本は、

そういったメディアで目立つ行動をとる人たちを

嘲笑して攻撃して、自分では何も行動をとらないのに

他人の揚げ足を取ろうとしてる人たちだらけだと論じていたけれど

(この説明で合ってるのか自信が無いけれど)、

私も確かにツッコミばっかだな…と感じていた。

しかしこの間自分のブログを読み返しながら、

「就活の面接で泣くってけっこうボケてるほうだな」とも思った。

基本的に弱っているときしか泣かない。

16年生きた犬が死んだときも泣かなかった。

おばあちゃんが死んだときも泣かなかった。

どちらも呆けていたから、狂った鳴き方だとか、狂った電話攻撃だとかに

家に一番に帰ってくる自分が遭遇していたので、

正直解放されたくらいに思っていた。

先日の友達の結婚式も、泣かなかった。

感動の涙は一生流せない気がする。

大学の時の授業で、発表がうまくいかな過ぎて発表中に泣いた。

困ると泣く。その後の教授が私に気を遣ってくれる姿がトラウマだ。

現在の私はコミュ障の自分をどうにもしてこなかったツケだろう。

大学二年の時に「自分を変えよう」と一瞬思い、

レストランのバイトを始めたらバリバリの体育会系で、

仕事のテンポについていけないし疲れて眠れないし

「何のためにわざわざ遠い大学まで来たんだ、搾取される」と思って

2か月くらいで逃げるように辞めたが

(辞める電話はもっとも嫌な電話だった、その後の面談も嫌な時間だった、

書いててどんどん自分のダメ人間さが嫌になってくる)、

「すぐに辞めた」ということが根が真面目なのでショックで、

しかもそこらへんまで自分が社会でやっていけないタイプと自覚していなく、

「大学の勉強がんばってもコミュ障だから何もつながらないじゃん」と

どんどんネガティブになり、成績も下がり続け、卒業した。

今思うと、大学の勉強がんばってたら、何かしらにつながってたと思う。

就活していた時、

「人間が好きなようには見えない」と面接したババア(恨んでいる)に言われ、

今就職した職場でも最初のほうに「人間好きじゃないでしょ」と言われ、

二人の人に言われるくらいだから私は好きじゃないんだろうなと思って

二人目の人には「はい好きじゃないです」と答えたんだけれども、

今思うとそんなこと言ってくる相手がおかしいし、

(二人目の言ってきた人に今職場全体が振り回されている)

思っていても言っちゃいけないことってあると思う。

そんでもって人は好きだ。でも言語コミュニケーションは苦手なんだ。

10代の時に「周りと違う自分を演出をしたがる子」が「趣味人間観察」と

言いたがるけれども、本気で人をよく見てしまう。

だから、その人が気に入るプレゼントをするっていう能力はあると思っている。

コミュ障の言う「人間観察」ってすごい痛いけど。

「趣味 人間観察」と「前略プロフ(私が高校生の頃あった携帯で更新する

個人ブログみたいなやつ)」の

自己紹介の欄で書いていた中学の同級生を二人覚えているけれど、

二人ともコミュニケーション能力すごかったなーと思っている。

片方は男の子で、小学校の作文で臨海学校のエピソード書いてて

「他校のサッカーやってそうな子に話しかけ、臨海学校の後もアピタで遊んだ」と

小学生のころからコミュ障驚きの内容を書いてたし、

もう片方の子は女の子で、サッカー部のマネージャーをして、

成人式では薬指に指輪してたタイプだ。

その子が前略プロフの「特技」で

「人を笑わせること…?何も面白いことしてないのにみんな笑うんだよ(困り顔の絵文字)」と

書いていたので、いつのまに人工的天然ボケかますようになったんだろうと驚いた。

しかしそうやって自分を演出できる人間のほうが他人に優しくなれるんだと思う。

ちょっとはナルシストじゃないと人にやさしくなんてできないんだと思う。

ついついツッコミをしてしまう

困るとすぐ泣くタイプのコミュ障が対人コミュニケーションがんばる姿って

「奇行」っぽくないかな、奇行は嫌だな、そっちの世界には行きたくないなーと思うけれど

「まともな大人になりたい」というのが達成できていないのでどうにかしなければならない。

 

 

 

 

どうしよう